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聴く人それぞれに、その人の街の情景がありますね
高石ともや さんの生前の偉業を讃え、心からお悔やみ申し上げます。
あの時代を思い出して・・・涙あふれて高石さんありがとうございました。まだまだ歌ってくれると思っていた・・・
素晴らしい歌です。このような美しいメロディ、詩を次の世代にも伝えたいです。一つの時代を作り上げた高石ともやさん、安らかにお休みください。
こんな素晴らしい歌を残してくれた高石ともやさん、ありがとう。
この曲聴くと京都に行きたくなります。高校の合格祝いに行ったきりです。もう一回行ってみたいです。
やっぱりいいですね❤❤❤
高石さんとはあるイベントの仕事で知り合って、それからファンになりました。ホントに心の綺麗な素晴らしい方でした。この歌はいちばん好きな曲です。亡くなったと聞いて、愕然としました。一昨年の年忘れコンサートに行って、楽屋でお話しさせていただいたのが最後です。“ご冥福を”と言うより、これからも僕の中で、生き続けて行ってくださると思っています。
本当にいい歌。
名曲に感謝してます♪
走る路面電車が廃止されたのは1978年8月。その年4月から京都で学生生活を送ることになった自分には特別な意味を持つ歌となりました。ありがとう、高石ともやさん!
京都での学生時代、出町柳駅近くの四畳半の下宿で、この歌をよく歌った。41年前の秋、大学の学祭「11月祭」でナターシャセブンがやってきて皆で合唱した。この歌を聴くと、今もあの頃のキャンパスにいるような気がする。
この曲大好きです。京都での大学時代。色々あったな。
自分の持ち歌を見事に歌いきる以外の宏美さんの映像を見ていると、自分がなぜ彼女に惹かれるのかが分かるような気がします。
岩崎宏美さんのファンですか?高校の頃からですか?
いつ聞いてもいい声です!
マラソン大会でお目にかかりました。いい歌ですね。
宏美ちゃん最高!
京都の大学を卒業して松山に帰る時にこの曲を口ずさみながら帰った思い出がある。
素敵な笑顔😊素敵な曲😊素敵な声☺
昨夜、札幌の道新ホールで行われたコンサートに行ってきました。この歌にはエピソードがあって、ある日京都で永六輔さんと車に乗っていた時に、大原を通過時に「京都、大原三千院〜〜」と、口ずさんだら、運転していた友人が「やめなさい、そんな変な歌」と。ともやさんは「この歌は名歌じゃないですか」というと、空かさず永さんが「ともや、地名を入れればどんな名所の歌でも作れます。ともやは、君は京都に暮らしているのだから、地名の入らない京都の歌を作りなさい」と言われ、この曲ができたそうです。永さんとタモリさんが最後に出ている…たぶん、このエピソードと関係ありそうですね。聴いていて京都の風景が浮かび上がる素晴らしい曲だし、岩崎宏美さんの歌唱力はさすがですね。
色々な人とのコラボレーション企画有りますが、岩崎宏美さんのが最高ですね!街はRUclipsでこれが最高。
ええ歌やなー♪ 宏美ちゃんかわええなー。
67のジジイです。横に妻がいます。涙が出ます。ありがとう。
この1年前に、初めてコラボした初々しい映像も合わせて見ると面白いですね!!
公開録画を見に行った覚えがあります。高石さんのご冥福をお祈りいたします。
宵々山コンサートのテーマソングでしたねぇ♫岩崎宏美さんも出演され一緒に歌いました‼️どれもこれも良い思い出です😢 まだまだ長生きしそうだったのに… 高石さんの訃報未だに信じられません・・・😭
ここに時代に戻りたい
とても懐かしい‼
岩崎宏美、若い!かわいい!
涙😢😢😢心に沁みます「そして秋」も沁みたなぁ
シェアさせて戴きます。
宏美さん、自分のパートじゃないところでも一緒に歌ってる姿がステキ!
宏美さんのこの楽曲に対するリスペクトがうかがえます。随分前のことだけど、僕もこの歌大好きでした。高石さんのご冥福を祈ります。
たしか、京都の放送局KBSラジオの「今月のうた」の一曲だったと記憶しています。リスナーさんから「京都」をイメージする言葉を募集して、曲に合うものをつなぎ合わせて、見事に「京都」という単語を使わずに京都の街の想い出を唄う、素晴らしい曲だと思います。他に「そして秋」というメジャー7の響きがせつなくも京都の秋を唄う名曲もありましたね。あの時代の深夜ラジオはナターシャが一番好きでした。「エースをねらえ」の替え歌を送ったら採用され、「さあ、ブッ」というオチをうけてくれたのがとても嬉しかった。
ナターシャ最高
素晴らしい
岩崎宏美さん、歌うめぇ・・・(汗)
これ、ナマで見ていました。よくまァ、映像がありましたね!
岩崎宏美さん可愛いです。少しコロッケに似てるけど・・素敵です。
笑
なつかしい❤
照れ屋のフォーク野郎達と、おさげ髪の歌姫、 いい雰囲気だな~
歌は世につれ世は歌につれ
5カポḠでオクターブ上のコーラス凄よなー
永六輔、タモリって事は、NHKのテレビファソラシドかな。
アルバム Hit and Run のメインになる曲でした。作曲は城田じゅんじ氏です。このアルバムを最後にナターシャセブンは分裂していきます。
何故分裂したのでしょうか?よく「分裂解散したバンド」のミュージシャンが理由として挙げる「音楽の方向性の違い」でしょうか?
事務所の社長とマネージャーをしていた平井宏氏がホテルニュージャパンの火災で亡くなります。平井氏がグループをまとめていたのですが……。音楽性の違いで意見が食い違うこともあり城田氏の脱退となります。坂庭氏はその板挟みになっていたようです。ときを経てBSNHKのフォーク番組に一緒に出演するまでには和解できたようです。メジャー化をねらったのがナターシャの分裂につながったようです。
@@tohisekeimurai 返信をありがとうございます。そうでしたか、社長さん、あの火災の犠牲者となってしまわれたとは本当にお気の毒です。ご冥福をお祈り致します。まとめ役がいなくなってしまった結果の分裂だったのですね。方向性の違いという点では、「メジャー化」したかったのは、高石さんか城田さんか・・。既に高石さんはメジャーと呼べるミュージシャンだったと思いますが。坂庭さんは「はしだのりひことクライマックス」でメジャーという経験をされているし、再び華々しいスポットライトを浴びたいとも思われていなかったのではないかな、と想像しますが。何かと疲れるでしょうし・・。ソロになられてからの動画を視聴した事がありますが、「色んなおっさんが寄って来た」と話しておられ、過去を振り返って辟易されている様子が伝わりましたので・・。その「おっさん」とは、一緒に仕事をした数々のミュージシャンを指していたのでしょう。坂庭さんは早世されましたが、「音楽」以外のところでの心労が大きかっただろうなぁと思います。
ブルハの「街」とは無関係です。
最後に永六輔の隣にタモリが.....
キワもの芸人だったタモリが当たり前のようにNHKに出られるようになったのは、この番組からでしたからね。しかもよく考えれば8時台のゴールデンタイム。今のブラタモリにまでつなげた最大の功労者は、タモリをこの番組に引っ張り出した永六輔ですよ。この後,、タモリは何と当時のNHKで大河ドラマと並ぶ看板番組であったドラマ人間模様で主役を張るのですよね。同じ頃に「みんなのうた」でも一曲歌って、「今夜は最高」や「いいとも」よりも前にNHKで大ブレークした時でした。
聴く人それぞれに、その人の街の情景がありますね
高石ともや さんの生前の偉業を讃え、心からお悔やみ申し上げます。
あの時代を思い出して・・・涙あふれて
高石さんありがとうございました。
まだまだ歌ってくれると思っていた・・・
素晴らしい歌です。
このような美しいメロディ、詩を次の世代にも伝えたいです。
一つの時代を作り上げた高石ともやさん、安らかにお休みください。
こんな素晴らしい歌を残してくれた高石ともやさん、ありがとう。
この曲聴くと京都に行きたくなります。高校の合格祝いに行ったきりです。もう一回行ってみたいです。
やっぱりいいですね❤❤❤
高石さんとはあるイベントの仕事で知り合って、それからファンになりました。ホントに心の綺麗な素晴らしい方でした。この歌はいちばん好きな曲です。亡くなったと聞いて、愕然としました。一昨年の年忘れコンサートに行って、楽屋でお話しさせていただいたのが最後です。“ご冥福を”と言うより、これからも僕の中で、生き続けて行ってくださると思っています。
本当にいい歌。
名曲に感謝してます♪
走る路面電車が廃止されたのは1978年8月。その年4月から京都で学生生活を送ることになった自分には特別な意味を持つ歌となりました。ありがとう、高石ともやさん!
京都での学生時代、出町柳駅近くの四畳半の下宿で、この歌をよく歌った。41年前の秋、大学の学祭「11月祭」でナターシャセブンがやってきて皆で合唱した。この歌を聴くと、今もあの頃のキャンパスにいるような気がする。
この曲大好きです。京都での大学時代。色々あったな。
自分の持ち歌を見事に歌いきる以外の宏美さんの映像を見ていると、自分がなぜ彼女に惹かれるのかが分かるような気がします。
岩崎宏美さんのファンですか?高校の頃からですか?
いつ聞いてもいい声です!
マラソン大会でお目にかかりました。いい歌ですね。
宏美ちゃん最高!
京都の大学を卒業して松山に帰る時にこの曲を口ずさみながら帰った思い出がある。
素敵な笑顔😊素敵な曲😊素敵な声☺
昨夜、札幌の道新ホールで行われたコンサートに行ってきました。この歌にはエピソードがあって、ある日京都で永六輔さんと車に乗っていた時に、大原を通過時に「京都、大原三千院〜〜」と、口ずさんだら、運転していた友人が「やめなさい、そんな変な歌」と。ともやさんは「この歌は名歌じゃないですか」というと、空かさず永さんが「ともや、地名を入れればどんな名所の歌でも作れます。ともやは、君は京都に暮らしているのだから、地名の入らない京都の歌を作りなさい」と言われ、この曲ができたそうです。永さんとタモリさんが最後に出ている…たぶん、このエピソードと関係ありそうですね。聴いていて京都の風景が浮かび上がる素晴らしい曲だし、岩崎宏美さんの歌唱力はさすがですね。
色々な人とのコラボレーション企画有りますが、岩崎宏美さんのが最高ですね!街はRUclipsでこれが最高。
ええ歌やなー♪ 宏美ちゃんかわええなー。
67のジジイです。横に妻がいます。涙が出ます。ありがとう。
この1年前に、初めてコラボした初々しい映像も合わせて見ると面白いですね!!
公開録画を見に行った覚えがあります。高石さんのご冥福をお祈りいたします。
宵々山コンサートのテーマソングでしたねぇ♫
岩崎宏美さんも出演され一緒に歌いました‼️
どれもこれも良い思い出です😢 まだまだ
長生きしそうだったのに… 高石さんの訃報
未だに信じられません・・・😭
ここに時代に戻りたい
とても懐かしい‼
岩崎宏美、若い!かわいい!
涙😢😢😢
心に沁みます
「そして秋」も沁みたなぁ
シェアさせて戴きます。
宏美さん、自分のパートじゃないところでも一緒に歌ってる姿がステキ!
宏美さんのこの楽曲に対するリスペクトがうかがえます。
随分前のことだけど、僕もこの歌大好きでした。
高石さんのご冥福を祈ります。
たしか、京都の放送局KBSラジオの「今月のうた」の一曲だったと記憶しています。リスナーさんから「京都」をイメージする言葉を募集して、曲に合うものをつなぎ合わせて、見事に「京都」という単語を使わずに京都の街の想い出を唄う、素晴らしい曲だと思います。
他に「そして秋」というメジャー7の響きがせつなくも京都の秋を唄う名曲もありましたね。
あの時代の深夜ラジオはナターシャが一番好きでした。「エースをねらえ」の替え歌を送ったら採用され、「さあ、ブッ」というオチをうけてくれたのがとても嬉しかった。
ナターシャ最高
素晴らしい
岩崎宏美さん、歌うめぇ・・・(汗)
これ、ナマで見ていました。よくまァ、映像がありましたね!
岩崎宏美さん可愛いです。少しコロッケに似てるけど・・素敵です。
笑
なつかしい❤
照れ屋のフォーク野郎達と、おさげ髪の歌姫、 いい雰囲気だな~
歌は世につれ世は歌につれ
5カポḠでオクターブ上のコーラス凄よなー
永六輔、タモリって事は、NHKのテレビファソラシドかな。
アルバム Hit and Run のメインになる曲でした。作曲は城田じゅんじ氏です。このアルバムを最後にナターシャセブンは分裂していきます。
何故分裂したのでしょうか?
よく「分裂解散したバンド」のミュージシャンが理由として挙げる「音楽の方向性の違い」でしょうか?
事務所の社長とマネージャーをしていた平井宏氏がホテルニュージャパンの火災で亡くなります。平井氏がグループをまとめていたのですが……。音楽性の違いで意見が食い違うこともあり城田氏の脱退となります。坂庭氏はその板挟みになっていたようです。ときを経てBSNHKのフォーク番組に一緒に出演するまでには和解できたようです。メジャー化をねらったのがナターシャの分裂につながったようです。
@@tohisekeimurai 返信をありがとうございます。
そうでしたか、社長さん、あの火災の犠牲者となってしまわれたとは本当にお気の毒です。ご冥福をお祈り致します。
まとめ役がいなくなってしまった結果の分裂だったのですね。方向性の違いという点では、「メジャー化」したかったのは、高石さんか城田さんか・・。既に高石さんはメジャーと呼べるミュージシャンだったと思いますが。坂庭さんは「はしだのりひことクライマックス」でメジャーという経験をされているし、再び華々しいスポットライトを浴びたいとも思われていなかったのではないかな、と想像しますが。何かと疲れるでしょうし・・。ソロになられてからの動画を視聴した事がありますが、「色んなおっさんが寄って来た」と話しておられ、過去を振り返って辟易されている様子が伝わりましたので・・。その「おっさん」とは、一緒に仕事をした数々のミュージシャンを指していたのでしょう。坂庭さんは早世されましたが、「音楽」以外のところでの心労が大きかっただろうなぁと思います。
ブルハの「街」とは無関係です。
最後に永六輔の隣にタモリが.....
キワもの芸人だったタモリが当たり前のようにNHKに出られるようになったのは、この番組からでしたからね。しかもよく考えれば8時台のゴールデンタイム。今のブラタモリにまでつなげた最大の功労者は、タモリをこの番組に引っ張り出した永六輔ですよ。この後,、タモリは何と当時のNHKで大河ドラマと並ぶ看板番組であったドラマ人間模様で主役を張るのですよね。同じ頃に「みんなのうた」でも一曲歌って、「今夜は最高」や「いいとも」よりも前にNHKで大ブレークした時でした。